<3000文字チャレンジ> 趣味は自己満だから良い

今週の3000文字チャレンジは「趣味」です。


趣味…。


うーん、趣味って便利な言葉ですよね。特技と違ってちょっとかじった程度でも本人が趣味と思えば、何でも趣味になっちゃいますからね。

特技ならすごく出来てないといけない感がありますけど、趣味にしておけば下手でも全然オッケーな感じなので、控えめで謙遜しがちな日本人にとっては助かる言葉かも。


私の今の趣味は間違いなくブログですけど、「趣味」と言っておけば何かあっても「どうせ趣味だから」っていう保険がかけられますし、ブログでお金稼ぎを煽って来る変な人からも守ってくれる魔法の言葉でもあります(笑)

無益で楽しめるものを趣味というので、外野にごちゃごちゃ言われる筋合いはなくなりますからねー。

趣味に留めておく方が幸せ?

よく「好きな事を仕事にしよう」とか聞きますけど、それってどうなんでしょう?

好きな事だからこそ努力を努力と思わず楽しんで頑張れるって事なんでしょうけど、好きな事は必ずしも得意な事とイコールではなかったりします。

下手すると好きな事が嫌いな事にも変わってしまうケースもあるだろうし、趣味は趣味に留めておいた方が幸せな場合もありそう。


そもそも、私がブログを始めて1年半以上ずっと楽しんでいられるのは趣味の範囲に留めているから。

これが変に毎日更新!とかマネタイズ!とかに走ると、私の性格上、一気に楽しくなくなって更新が止まるのは目に見えてます。

ライターさんやブログを大量に更新して稼いでる人は本当に尊敬しますが、人は人。私は私のブログをちゃんと趣味としておいてあげたいと思ってます。

特に今やってるオーストラリア関連のブログは、ブログを通してかなり知識や視野が広がったので、これからも楽しみながら続けたい。

ただ、あっちはオーストラリア縛りがキツイので、この3000文字チャレンジ専用のブログ開設してみたんですけど、こっちはどうなる事やらですけどね。3000文字って結構な文字数ですよねー。


そう言えば、私の前職は趣味と仕事が一致してたんで、あの頃のモチベーションはすごかったです。

休みの日も練習会や勉強会に参加して、プライベートか仕事か分からないほどガンガンやってましたが、好きな事なので全然ストレスにもならないし、逆にストレス解消になると感じるほどで。

でも、結局最終的に体を壊したので、気付かないうちにのめり込み過ぎてたんでしょう。
楽しかったですけど、ああいう仕事の仕方はもう当分良いですね。

ブログもよく時間を忘れて没頭してしまうので、気を付けないと。

英語が趣味って言えた時期もあった

趣味というのは自分が楽しめる自己満足的なもの。
そこから一歩出て夢から覚めた経験が何度かあるのですが、その最たるものは「英語」でした。


一時期、日本で英語の勉強にハマった事があるんですよ。

当時、仕事のストレスがすごかったので、何か仕事と関係ない世界でリフレッシュしたいと思った時にお茶の間留学を見つけたんです。

ここ、レベルに応じて生徒をやる気にさせるのが上手で、良い意味でまんまと乗せられて、リフレッシュどころかどハマりしたっていう。


私が始めたレベルは「とにかくしゃべって英語に慣れる」のが目的だったので、文法や発音は悪くても、しゃべっただけでネイティブの先生に「Good Job!」と褒められるので楽しくなってしまいました。

英語を勉強しているという優越感も手伝って、調子に乗った私はどんどん自分から勉強して、すごい熱量だったと思います。

それがみっちり2年続いたので、こう考えると教え方ってかなり大事ですよね。


クラスはレベルチェックに合格すると、どんどん上のレベルに上がって内容もだんだん難しくなって来るのですが、その頃にはオーストラリア行きを決心していたので、更に英語の熱が入ってました。

勉強してるうちに、どうしても一生に一度くらいは英語圏に住んでみたいという気持ちが抑えられなくなってしまったんです。まさかこの後に永住するとは夢にも考えてませんでしたけど。


あの頃が本当の意味で楽しく勉強出来た時期で、紛れもなく趣味だと言えました。

でも、オーストラリアについた瞬間に夢から覚めて、現実を見せつけられたんです(笑)

現実を突き付けられたらもう趣味ではいられない

たまに海外勢が「海外に出た方が英語のモチベーションが上がるので、まず海外に出よう!」とツイッターで発言してるのを目にする事がありますが、本当にそうでしょうか?私はそうは思いません。

だって、海外に出て英語のモチベーションが下がった人間がここにいますし。

全員がそれでモチベーション上がるなら、しゃべれないまま帰国する日本人が多くいるのはおかしいですからね。

それよりも、英語に慣れてないのに急に英語漬けになると、脳みそが疲れて避けたくなる人もいると思います。

私は日本から多少の英語には触れてある程度は意思疎通出来るレベルまでなってたつもりでしたが、来たばかりの頃は英語シャワーがこれでもかと容赦なくかかってくるので、正直、英語が嫌いになりました。

こっちでは英語は話せて当たり前、勉強するのも当たり前。ホストファミリーは英語しか話さないですしね。

現地で語学学校行ったからって、そうそう簡単に伸びるものじゃないです。

一応わりと歴史のあると言われてる語学学校に1カ月だけ通ってみましたが、1クラスの生徒の人数は多いし、ただ教科書に沿ってやる授業は大して面白いとは感じませんでした。

周りの日本人も、大半が友達作りに学校に通ってるという感じでやる気ない人が多いので、意思が弱いと一緒にサボってしまうのがワーホリのデフォルト。

だから、英語の上達という意味ではあまり期待し過ぎない方が良いでしょうね。(他の良い事はたくさんありましたけどね。)


来たばかりの頃、日本人仲間の間で私はわりと “しゃべれる人” 扱いで、オーストラリア人にも「あなた、英語上手ね」と言われて悪い気分ではなかったですが、後で分かったのは「日本人にしては英語が上手」という意味でした。

ネイティブや他の国の人たちの中に入れば途端に “しゃべれない人” 扱いでしたからね。



結局どんな環境にいても自分次第なんです。


オーストラリアに住んでたら英語ペラペラでしょ?とか言われるじゃないですか。

勘違いされやすいんですけど、10年以上住んでいてもしゃべれない人はたくさんいますし、勉強しないと住んでるだけでは上達しないんです。

そもそも最初の目的が「旅行」で、それ以上の英語力を求めてなかったのに、予定外にオーストラリアに残ってしまったから、今苦労してます。

しかもトントン拍子で永住権がとれてしまって英語検定も受ける必要がなかったので、アカデミックな英語は全然で。
(ただ、現地の専門学校に通った事はあるので、あまりネイティブも使わないマニアックな言葉とかは知ってますが。)

とにかく今は、英語は趣味なんて悠長な事を言ってられない状況です。あの頃が懐かしい〜。

おわりに

最近はブログのお陰で、まだ日本語化されてないオーストラリアの情報を記事化するのが趣味になってるので、これでますますマニアックな英単語は覚えるかも。

本当は上手く趣味と義務のバランスを取って、中間くらいを行けるのが理想かもですけどねー。

でも趣味、趣味が好きだな〜。

たまには夜にカーテンを閉めようか

夜にカーテンを閉める。

それだけで家の中が守られているような安堵感に包まれて、家庭という雰囲気になる。


そんな事はずっと前から気づいているのに、どうして私はいつもカーテンを閉めないんだろう?


朝日と共に起きた方が健康的だからとかカーテンを開ける音で朝はゆっくりのパートナーを起こしたくないからだとか、色んな言い訳を考えてみるけれど、ただ単にそのたった数秒の作業が億劫なだけだ。


我が家のメンバーはパートナーと私と2匹の猫、だけど家庭という認識は薄い。


私と彼とはおそらく同じような傷を持っていて、お互い自由に生きてきた。


彼は恋人というよりも自分と一緒に人生を歩んでくれる人で、私にとって存在だけで癒される空気清浄機のような人。そして、向こうもこっちを似たように思っているらしい。


なのに、そんな大切な人の為にどうしてカーテンひとつひいてあげられないんだろう?


食文化も好みも趣味も年代も何もかも違う彼と、こんなに深く繋がりを感じるのは不思議だけれど、だからこそ薄々感じてる。
彼も家庭を持つのが怖いのだ。


幼い頃から探し続けた桃源郷がここだったなんて我ながら笑えるけれど、まるで子供に戻ったかようにずっと自由に遊んでいられるこの場所が好きだった。ずっとずっとこうしていたかった。


だからきっと、カーテンを閉めたくなかったのだ。


だけど、彼が家を空けてる今、こうやってカーテンを閉めたくなるのはどういう事なんだろう?


そろそろ私だけの領域に、彼を招き入れる時期なのかもしれない。

<3000文字チャレンジ> 石にまつわる不思議な事

こんにちは、えりです!

このブログは、3000文字チャレンジ参加の為に開設しました。

 

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今回のお題は「石」なので、石について書きます。

ツイッターで #3000文字チャレンジ を検索すると、他の人の記事もたくさん出てきますよ。

 

石の不思議

さて、石には古来よりパワーが宿ると言われていて、世の中には科学では解明されていない不思議な話がまだまだたくさん存在します。

 

カリフォルニア州の “ひとりで移動する石” はご存知でしょうか。

デスバレー国立公園には、自分で動く重さ約300kgほどの石があるのだそうです。

 

「そんなバカな!」と思うかもしれませんが、写真を見るとなるほど、石の後にちゃんと移動した跡が残ってるんですよね。

 

石がひとりで勝手に動くなんて、あり得るのでしょうか?

 

この現象、つい最近まで原因がわからず様々な憶測が飛び交ってましたが、2014年にアメリカの研究チームによって風と雨と氷の絶妙なバランスで起こる自然現象だと解明されました。

 

…まあ、そりゃそうですよね。

分かってしまえば「なーんだ」とスッキリする反面、宇宙人説とかじゃなくてちょっと残念 (笑) それはちょうど、サンタクロースが存在しないと知った時の気分に似ているかもしれません。

 

私が小学生だった昭和後半はオカルトブームだったので、こういった不思議な話が周りにいっぱい溢れてました。

当時テレビでよく放送されていたUFOや心霊特集、埋蔵金探しに、子供向けのホラーマンガ。不思議は話は子供心をくすぐり、ワクワクしたものです。

 

「大人になるという事は、世の中はこんなものだと悟る事だ」と言う人がいますが、確かに何もかもが新鮮でワクワクしていた世界は、大人になるにつれてどんどん現実的になっていきました。

 

自分でどこへでも行ける自由は手にしたけれど、小さい頃の思い出の場所に久しぶりに行ったら想像していたほど大した事がなかったり、遊園地は夢のワンダーランドではなくなって、ドキドキだった夜のファミレスは、単に夜のレストランという事実があるだけ。

 

今住んでる場所もある程度大人になってから来た町なので、全く思い入れがない訳ではないんですけど、大して愛着はないんですよね。

 

それよりも思い出すのは、若い頃過ごした景色。

ある程度の年齢に達すると、初々しい感性を持っていた頃がたまらなく懐かしくなります。

石、好きですか?

そんな大人になった今でも、石については神秘的な部分が多く残されていると感じています。


パワーストーンはキラスピさんの間でも人気アイテムですし、日本にはキツネが閉じ込められた石みたいな伝説も残されたりしてるようで、やっぱり面白いと思うのです。

 

そう言えば、いつか私の知り合いが、パートナー募集中の人の枕元にローズクオーツを置く事を勧めたら、全員がすぐにパートナーが出来たといつか熱弁してました。

責任は持てませんが、本当かどうか興味あるので誰か試してみてください(笑)

 

まあ、 ひと言で “石” と言ってもパワーストーンのような石もあるし、胆汁が結晶化したものも胆石という石と呼ばれて色んな石がありますよねー。

 「石のように」というの頑固な様子で「石ころのような存在」というと、“いるかいないか分からない” という残念な意味になります。

 

私が人生でいちばん衝撃的だった石を挙げるとしたら、人面石ですかねー。


人面石というのは、人の顔のように見える石の事で、これも90年代のオカルトブームで生まれた言葉だと思います。

当時流行った人面犬に便乗して色んな人面シリーズが出現した中のひとつですね。

 

人面犬ブームは、あるラジオ番組に投稿された1枚のハガキから始まりました。

夜、人間の顔をした犬が「うるせーんだよ!」と吐き捨てて走り去ったという内容のハガキがきっかけとなり、次々と目撃情報が寄せられるようになったのです。

 

そのうち、街角で捨て台詞をはいて消えるとか、深夜の高速道路で100kmのスピードで追いかけてくるとか様々な噂が日本中を駆け巡りました。

 

何であんなに流行ったのかは謎ですが、人面犬は一躍ブームになり、同時に人面ブームも到来。便乗して人面魚とか人面まんじゅうとか人面虫とか、人の顔に見える人面〜シリーズが次々と登場しました。

(時間があれば、人面まんじゅうってググってみて欲しいですw 鳥肌立ちますよ。)

 
そんな中、あるおじいちゃんにスポットライトが当たった事があります。

そのおじいちゃんは、暇さえあれば人の顔に見える石を探しに行くのが趣味という事で “人面石を収集するおじいちゃん” としてニュースで特集されたのです。

 

人面石…。

 

私は小さい頃、河原でよく丸くてかわいい石を見つけて家に持って帰っていたのですが「石は人の念が入りやすいのでむやみに拾って来てはいけない」と聞いて、子供心にめちゃくちゃビビって、今まで拾った石全部を捨てたばっかりでした。

 

そんな時観たテレビ画面に映るおじいちゃんの部屋に所狭しと並ぶ人面石は、あまりにも壮観で。

 

「石の顔はそれぞれ個性があって楽しいです。」とおじいちゃんは笑顔でコメントしてましたが、私はもし夜中に顔のついた石がたくさん並んでるのを見たら、恐怖で凍りつくに違いありません(笑)

石は嫌いじゃないけど、これだけは勘弁。

不思議だから面白い

石と言えば、私の記憶で真っ先に思い出されるのが運動場の石拾いです。

 

私の小学校では、10月に行われる運動会の練習が始まる頃になると、生徒はみんな裸足で過ごすという決まりがありました。


この時期は授業を受ける時も運動場に出る時も、登下校時以外はいつも裸足。

鋭い石を踏んだら危ないので、全校朝礼の後に校庭に落ちてる小石をひとり10個拾ってから教室に戻るのが恒例でした。

 

全校生徒1000人にも満たないとはいえ、全員が小石10個も拾ったらすごい量です。

あっという間に校庭の片隅にはみんなが拾った小石の山が出来るのですが、その割には拾っても拾っても、まだ小石があるんですよね。

 あんなに拾ったのに、来年も再来年もずーっといつも小石落ち続けてるし。

 (不思議に思ってましたけど、今になって考えると当たり前か。)

 

そう言えば、運動場左側はでっかい岩のような壁になっていて、向こう側に何があるんだろう?と小学校低学年の時はいつも想像してました。

 

実際はただ森が広がってただけだったんですけど、私は「もしかしたら、あそこが世界の端っこかもしれない。」と本気で思ってました。

 

当然そんな訳はなく、世界は丸いので端自体が存在しないと知ってガッカリ。

 

子供の時って無知ですが、その分不思議を楽しみたいっていう余裕がありますよね。

 例えば学校七不思議なんかも、不思議大好きな子供たちの願望ではないでしょうか。

 

私たちの学校は当時開校10年も満たない新しい学校だったので、お化けが出る雰囲気ではなくてつまらないと思ってましたが、ある日1度だけ昇降口の壁に浮かび上がる骸骨のような顔が話題になった事があります。

 

ついに我が校にも不思議が出来たか!と喜んだものの、後で実は○○君が掃除中にふざけてモップで描いたものだった事が判明。

 

うっすらそうかなあという気もしたけれど、本当にお化けだったら面白かったのに。

 

おわりに

 

現在、ノンフィクションばっかり読んで、ハリーポッターを観て「空飛ぶとかあるわけないでしょ」とか言っている人間と同一人物とは思えませんが、不思議な事は今でも起こって欲しいと思っているし、そういう事を楽しむ感性はいつまでも持っていたいものです。

 

3000文字、お題があってそれに合わせて書く文章ってやっぱり難しいですね。

毎週これに参加してる方々はすごいです。

 

最後までお読みいただき感謝です。